Another Side 0f RAUM

アントロポゾフィー空間-RAUMの運営管理人Gaonが、夜 星空の下でつぶやく独り言.気ままに勝手なこと言わせてください.

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そういえば最近・・・

そういえば、最近、映画を観ていない。確か最後に鑑賞したのは2か月以上前になるかな・・・?友人宅のホームシアターで「カモメ食堂」を観たのは。

「カモメ食堂」、もともと外国映画をよく観てきた私には、久々の日本映画だった・・・といっても舞台がフィンランドだから、随所にちりばめられた食器や家具なんかの小道具、インテリアや建築も、もちろん全てがフィンランド製の洒落たデザインのものばかり。それに、出演する俳優はほとんどが日本人(小林聡美、片桐はいり、もたいまさ子) だけど、だいたい彼女らも際立つ個性が売りものの、日本人から見ればいわば異邦人みたいな存在なわけだから、鑑賞後の気分は外国映画を観た後のそれと似たようなものだったんです。

−−−ゆるゆると流れる時間の中で、外国(日本)からやって来たそれぞれちがう目的をもつ3人の女性たち (でも、目的なしの人が約2名) に起きる出来事、心の交流や葛藤、成長といったものまでもふくめて、ほんとうは人生のかなり深い部分にまで想いを至らせるのだけれど、全てがあくまで淡々と描写されていて、まるで水彩画のように軽やかで透明感のある、やさしく美しい色合いの作品に仕上がっていた。もともと北欧 (特にフィンランド!) 大好き人間の私には、その洗練されつつも何となくローカルな雰囲気を味わえて、とても嬉しい映画だったなぁ。

ちなみに、我が家には北欧の物がいくつかあります。これはフィンランド・イッタラ社製のハイボール。形はあくまでシンプルでハイセンス、色は数種類あってそのどれもが味わい深い。これで飲むお水やビールは格別に美味しく感じます(ホント)。・・・フィンランドに限らず、この北欧のデザインセンスはどうしてこんなにステキなのでしょうね?感心します。
ハイボール


・・・で、映画の話に戻りますけど、その前も やはり同じ友人宅で、「敬愛なるベートーベン」というイギリス・ハンガリー合作の映画を観たけれど、これもなかなか良かった。完全に実話ではないにしても、ベートーベンの写譜師は実在したというし、その写譜師の目を通すことで かの偉大な作曲家が、破天荒なまでにひどく人間的な一面をもつ、哀しくも愛すべき存在として生き生きと描写されていた。ただ、エド・ハリス扮するベートーベンが、ここでは女性として描かれている写譜師にお尻を見せるシーンは、「おじさん、やりすぎよ!」と言いたくなるけど。

一番感動するのは、やはり 『交響曲第9番』 のシーンですね。男女混声の大合唱が突然始まる瞬間は、身体に衝撃が走るほど。崇高な何かに打たれる感じ・・・と、言えばいいかしら。
ベートーベン
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベンという難聴の天才作曲家が、神秘主義に傾倒していたという話は何かの本で読んで知っていたけれど、映画の中でも、時折彼の口から発せられる隠喩的な言葉や、それとは明示されていなくても集中して見ていれば気づくような仕組みで、象徴的な事物が出てきたりする。それらを通じて、音楽の神に捧げられた彼の人生を貫いていた精神とは、一体どのようなものだったのか?という謎に対する答えが、少しなりともひも解けるようになっている (と、私は思うのです)。


それにしても、若かりしころの一時期には「映画何とか」を自称していた私が、こんなに映画を観なくなったのは、もちろん忙しいせいもあるけれど、やはり「映画は映画館で観るもの」という固定観念があるからかもしれない。でも観念的な問題ばかりでもないです。やはり、たかだか20インチの液晶テレビでは(我が家ではテレビを見る頻度が少ないので、普段は小さくていい)、度台迫力がちがうもの。・・・サイズは関係ないと思うかもしれないけれど、でも、映画には大きな要素なの。
それと雰囲気ね。つまり、そのためだけに作られた場所・・・アトリエやなんかもそうだけど、そういう場所には独特の雰囲気があって、その世界に引き込んでくれる。それって結構大事な要素だと思うんです。

だから友人がホームシアターを作ってくれて、とぉっても喜んだのは当然のことでしょう。しかもそのシアターのサービスは驚異的で、気持ち程度の手料理など持参すればよく、鑑賞料はタダ。おまけにビールまで出てくるという、超おりこうさんシアターなのです。すごいでしょ?
ああ・・・でも、何しろ時間がないのも事実。まだまだ当面は映画を観る気分にはなれないかもしれないな。どこにも行かない連休にはどうだろう・・・ぶつぶつ・・・

あっ!でも、この映画の話を書いてしまって、今、思い出したのですが・・・。私は、実はさっきまで ロマンポランスキー監督の「Tess」 のことを考えていて、そのことを書こうとしていたのでした。すぐに脱線して肝心なことを忘れる、私の悪い癖。反省。「Tess」はまた今度。


シネマ | コメント:0 |

after the heat

久しぶりに書きます。
いや〜人生いろいろ、ほんとに山あり谷ありですね。・・・不思議なことに、最近は思ったことが速攻で実現することしばしで、ひじょうに驚きます。

もちろん地道な努力が実ってそれなりの結果がでるとか、日ごろの生活態度が身体を作り変えていくこととか、そういうことには時間がかかりますけど、それはつまり(R・シュタイナーの言うところの)エーテル体が変化するということだから、そのためには時間と習慣が関与しなければならないのだけれど、今私のいっている実現とは「心」の世界のこと。考え方ということも言えるかな・・・?「私の心、見えてますか?」と言いたいくらい、自分の心が世界にそのまま反映されてくるから、ちょっと怖いです。自分の誠実さや本気さを、試されている感じでもあります。

シュタイナーは「現代はミカエルの時代」だと言っています。ミカエルは月の天使。白く輝く剣を持って、暴れまくる竜を倒します。そのミカエルが今の時代の守護天使だと言うのです。

・・・彼はただ私を見ている。私が動き出すまで、何も後押しもしてくれないし、助けてもくれない・・・ただ、じっと見ている、私の心を見透かすような冷厳な眼差しで・・・。でも、やがて私は決心して動き出す。すると、とたんにミカエルからの私に対するサポートがはじまる。私の気持と行為に応じて、そう、可もなく不可もなく・・・。ミカエルは私を映し出す鏡のような存在。けれど確実に私に力を貸してくれる・・・

ファンタジーかもね。でも、私はいつも真面目にこんなこと考えながら生きている。変な人間だと言われても仕方ないですね。

さて、私にはたいていのときは音楽が必要なんだけれど、音楽って、自分の心の状態次第で完璧に変化するからおもしろい。聴覚はまさに心と直結している器官ではないかと思います。だから記憶との関係も深いよね。いつもは心地よい曲がとても苦痛に感じてしまうことや、逆に何ひとつ響いてこなくなってしまうことがあるんです。誰でも同じですよね。

今の私には ENO MOEBIUS ROEDELIUS の 「after the heat」 が一番心地よい・・・というかほとんどこれしか聴けていない。
そういえば、これまで幾度となく訪れた人生の最悪のときに、いつも私を「可もなく不可もない鏡のような場所」へと導いてくれたのは ENO の音楽だったな〜。こんな音楽を作れる ENO 博士は、やっぱりものすごい人なんだと思うのです。まさにミカエル的で、硬質に輝き、それでいて水のように限りなく慈悲深い、そんな世界に浸されます。

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神さまはどこに?

日々の体験が多すぎて書くことが追いつかないんです.けど、書きたいことはたくさんあるもの.困ったものです. で、考えついたのが、仕事とプライベートを分けること.そうすれば少しは楽に書けるかも.…っていうことで、つらつら独り言です.


あのね、夜は身体と魂の慰安のためにあるのであって、基本的に仕事をするのに適してはいないんだと思うんです.夜の意識と昼間の意識は明らかに異なっているんだから.

だからGaonは、夜になると仕事の能率がガクンと落ちて、神さまのことなんかをよく考えたりするんです.神さまって私の心の中ではとてもリアルな存在だな〜.でも、何故そうなのか?ということを、今ここで書くのはちょっと面倒.だから、多くの人がそうであるように私も、「そうなんだから仕方ない」と書いておこうっと.

ねえ、神さまってどこにいると思う?
…いつも思っていることなんだけど、今日はその考えがとっても明快で確信に満ちて語りかけてきた気がしたものだから、どこかに書きとめたくなったみたい.

昼間、私の神さまは私の周囲のいたる所にいるんです.それは教室にくる子どもたちひとりひとりの笑顔の中に.時には問題を投げかけてくることもあるけれど、それも神さまだってわかる.私に喜びをくれたり、悲しい思い、時には苦しい思いをさせるあの人の中にも…どんな時も、どんな場面も、周りの世界は全て神さまの姿と神さまの表れだと感じる.

だって、いつもとても大切なことを教えてくれているんだもの.それはほんとうに見過ごしてしまうほど小さくて、ほんのささやかな出来事だったりすることもあるけれど、でも、後からとても気になったりして、実は必要なメッセージだったということに気付く…そういう体験、誰にでもあると思うな.

そして、夜、神さまは私の中に在る.布団に横になって眠ろうとするとき、私は昼間に何があったとしても最高の幸せに包まれるんです.だって私の周りにいた神さま全てを、今度は私が、私の中に抱きしめて眠ることができるのだから.そう、私は神さまとひとつになれるのだから.


…こんなこと、何の根拠もない独りよがりの陶酔みたいだと言われるかもしれないけれど、どこから来るのか、どうしてそうなのか解らなくても、「これは確信なんだ」っていう考え…あるよね.

きっと今日はそういう日なんだろうな.ずいぶん頑張ってきて、やっと今日はひと休みできたんだもの.だからきっと、神さまが幸せな贈りものをくれたんだ、と、思うよ.…うん.



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Blog RAUM は引越しました

皆さま

ラウムのブログは引っ越しました.
お手数おかけいたしますが RAUM@Blog ←こちらをクリックしてください.
今後ともどうぞよろしくお願いいたします.
                                     ラウム管理者・Gaon
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0地点まで

もう何がなにやら…
9月に入ったとたんに涼しくなったかと思ったのも束の間、何とそれはフェイントで、すかさず残暑の猛攻撃が始まった。
容赦ないね、もう降参…あまりの熱さに息が苦しくなって、時々吐き気すらしてくる。

しかしこれだけ暑くても、確実に秋はその気配をいたるところに忍び込ませている。 だって9月ももう下旬!

夏休み後半に「エネルギーの話」をいくつか書きかけてはいたものの、教室が始まり、毎日毎日何かしらのトピックが訪れて、あれも書きたい、これも書かなきゃ…と思っているうちに、あっという間にここまで来てしまった。

時間とは容赦なく過ぎていくもの。体験は絶え間ない連続の中にある。 今を書き留める間もなく、すぐに次がやって来る。

結果、私はいつも過去の出来事の印象をたくさん抱えたまま、いつしか窒息状態に陥り、もう動けないような気分になる。

…これを「ネタ倒れ」というのだろうか?今、まさにそんな感じ。
今すぐ外に放出して、循環を良くしなきゃ!

それにしてもだいたい、しなければならない仕事や課題は前もって判っているのだから、無理のない計画を立てて、その通りに動けば何とかなるんじゃないの?と、普通に思うのだが、そうそう上手くはいかないもの…

何故なら、人生には「突発事態」というものが常に割り入ってくる。
つまり「想定外」というやつ。

賢い人たちは、そういうことも視野に入れて計画を立てているんだろうな…だとすると、すごく余裕のある日々が過ごせるよね、考えただけで気持ちよくなる……でも、「それが可能なら!」という但し書きが、まだまだ必要な未熟な私。

とにかく課題をこなして、マイナスからゼロ地点まで行くこと、そこから始めなきゃ。


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3角形の頂点の先には?

[2007年8月記]
そう言えば以前(ずいぶん前)、ゲーテ的自然科学「らせん教室」でだったか、オイリュトミーグループ「ロートス」の合宿でだったか・・・

幾何学の講義の中で「3角形」についてのお話と作図があり、底辺(これを過去ととらえる)から1点に向かって集束してきた2本の線は、頂点で交差すると同時に反転して、今度は未来に向かって限りなく広がっていく線に変わる・・・というような話を講師の井手先生に伺って、妙に感心したのを覚えている。

また、人智学系の地理地学者H・U・シュムッツ先生も、線を面に変えて、プラトン立体の正4面体について同様のことをおっしゃった。頭ではごく自明の理だと思う…にも関わらず、純粋に感動してしまった!

そしてそれは、自分の感情や考え方におけるある転換点、また、秋分・春分などの季節や自然現象における節目、生と死という次元の移行点など、世界のいたるところで象徴的に現れてくる形だということに気づく。

こう考えると、縦・横・高さをもつ6面体 (4角形) が地上的な世界を象徴しているのに対して、4面体 (3角形) は精神的な世界の象徴だと言われる。…その理由が納得できる気がするのだ。

ひとつの意味性が付加されたことで、単なる線や形だと思えていたものが急に秘めたる真実を語り始めたってわけ。



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テーマを設定する

[2007年8月記] エネルギーの話・その2

思えばこの夏、私の意識が「エネルギー」という部分にフォーカスされていたのは、今回参加したアートセラピー講座「クプナスクール」夏合宿のテーマがそれだったためだ。 」

おかげで、つくばから帰って後もずっと全ての体験の中に「エネルギー」の在りようを見ていて、その点で思考がクリアにまとまっている。

なので、この「テーマを設定する」という方法は、日常においても役に立つのではないかと思っている…特に、周囲と自分との関係を理解し、整理しようとする際に。

…人間は、(覚醒時には)絶え間ない感覚体験の渦の中、瞬時に移り変わる感情の嵐に流され、常に湧いては消える(思考とは呼べないような)考えに侵食されながら、寝ている時だって身体のどこかしらの部分を動かし続けているわけだが、そういったこと全てを一つに統合することで「普通」に生きている。

そしてその統合作業は、概ね無意識のレベルで行われており、無意識だからこそ普通に生きて行けていると言えるし、逆に無意識に生きていられるということは、平和で健康に暮らしている証だと言えるのかもしれない。 でも、例えば旅行で見知らぬ場所に行くとか、日常の中でも全く新しい体験をするとか、病気や怪我などで身体が不調を覚える時もそうだが、何か一つの物事に集中するような体験をすると、意識の状態もまったく変わってしまう。

で、今回のようにテーマを絞るということも、意識を変えるという点では同じ効果を生み出している。
ただし、こちらは自分から能動的に世界に向かう際に、一つの窓枠をもつということだから、先に挙げた例とはちょっと経路が異なるとは思うが…。

いずれにしてもテーマをはっきり持つと、そのテーマ内容に類似・関連する事物が周囲の至るところに、まるで魔法のように次々と現れてくるということがあって、当然そうなるだろうと頭で解っていても、実際の現れに遭遇すると不思議な感覚に包まれる。

エネルギーレベルで見れば、分散されている視点が集約されることでエネルギーが高まる、ということもあり得るのかもしれない。


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秋葉原

エネルギーの話・その1

8月5日〜8日の4日間、茨城県つくば市で行われたN・S先生のアートセラピー・夏合宿に参加し、帰ったら毎年恒例の阿蘇・九重への家族旅行に出かけ、そのあと実家へお盆参り、家の掃除、その他雑事もたまっていてあれやこれやと忙しくしていたら、あっという間に夏休みも後半、プリズム始め教室が始まった。
時間にすれば短い夏休み、しかし毎度のことながら密度濃厚な夏休みだった。

少し時間が経過してしまったが、東京に向かう飛行機の中から見えた空の色、雲の形、そして考えていたことなど々がまだまだ記憶の新しい層に鮮明に存在しているもの・・・今ならまだ書き留めることができるかな。

今回のアートセラピー・夏合宿のテーマは、一言で表せば「エネルギー」だったわけだが、今、過ぎ去ろうとしているこの夏を振り返れば、まさにエネルギーを実感する体験の連続だった、と、感慨深い今日この頃なのである。

さて、つくば市へは、東京の秋葉原から「つくばエクスプレス」という特急電車に乗れば、1時間もかからない速さで到着する。

「意外と便利なんだな〜」

前日までバタバタしていた私。5日の夜は1時間くらいしか眠れないまま福岡空港を始発便で発ったので、思ったより早い時間に秋葉原に着いてしまった。

それで、つくばへの到着予定時刻を確かめた後、「せっかくだから話の種にでも…」と、あの秋葉原・電気専門店街に足を踏み入れたわけだ。 もちろんこれから学びに行こうとする途中の短い時間、何も買うものなどないのだが。

でも、ちょっと面白かった。街行く人たちが、やっぱり本当に「オタク」っぽいのに驚いた。

ちなみに私は、自称「オタク大好き人間」だということをお断りしておこう。 若い時分…そう、まだ「オタク」という言葉が世間一般で使われるようになる前から、そのような種類の方々と親しくお付き合いさせていただいた。

みんな私よりもかなり年上で、70年代の安保闘争とか左翼とか過激派とか、ビートルズとか…戦後の激動の余波の中で青春を過ごした方々だ、が、それも末期になり、もはや闘争よりも平和主義的な生き方、Love and Piece を謳いあげる若者が主流の時代に差しかかっていたのだろう。

・・・真剣さと白けた感じが同居しているような、壊れ物のようなちょっと危うい感じ…、次々と生まれる新しい価値観に、誰もが混迷している時代だったのかもしれない。

そんな中で、互いに「オタクさ〜」などと呼び合いながらも、彼らは「自分のスタンスをしっかり自覚している人たち」という印象があった。むしろ世間的にはマイノリティであることに誇りを感じながら。

音楽オタク、映画オタク、小説オタク、そう言えば北欧系オタク(?)もおられたか・・・みんな自分の専門分野の話になると止まらない、それも目を輝かせて延々と…私はその雰囲気が大好きで、仲間に入れてもらえるのが嬉しかった。

でも、当時の私は、何の専門的な知識も持っていない上に、まだ子どもと言っていいくらいの稚拙な思考力しかない文字通りの「小娘」で、彼らの中にいるととても楽しいのと同時に、限りなく自信喪失していく自分もいるのだった。

・・・が、結果的にそういう体験は必要だったと確信している。恥ずかしさやコンプレックスもいつか力に変わる可能性を持っていることを知ったから。

話題を戻すと、やはり「オタク」にもいろいろあるようで、私が一瞬だけ足を踏み入れた界隈の方々のことは「秋葉系オタク」というのだろうか?・・・もしかしたら今で言うところの「オタク」の定義を、私は間違えているかもしれない。

それにしても秋葉原は、ある種のものすごいエネルギーの渦巻く場所であることは間違いない。 街行く人々の視線の先に何があるのか、私にはよく掴めなかったけれど、明らかに一人々の中には強い目的志向があるように感じた・・・単に流れているだけの空間じゃない。

「マニア」という言葉には「熱狂」という意味もあるのだそうだ。


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Fainal Distans

[2007年8月記]
どんなに親しい間柄にも横たわる、ふだんは見えない微妙な距離。
良好な関係を保つために必要なその距離のバランスが、ごくたま〜に何かの拍子で壊れる時があるんです。
発端は誰かのほんの小さなウソや裏切りだったり、甘えや我ままだったり、逆に度を越した頑張りすぎだったり・・・まあいろいろあるわけですけど、それが原因で日常の平和な気分がグチャグチャになってしまう時。

(白状するけど) そういう事態に遭遇した時、私はスペシャルに崩れやすい人間なんです。 いったん落ち込み始めると、とことん奈落の底に落ちていき、文字通り「動けなくなる」から始末が悪い。他人からは「そんなふうに見えない」と言われるけれど…。
たしかに仕事の場面では、むしろ冷静に物事に対処できる方ではないかと思いますよ…だけど、プライベートな領域に入るとぜんぜん違う人間になってしまう、自分でも可笑しいくらい (修行の足りなさを露呈するようでお恥ずかしいですが)。 落ち込んでいく自分をいい加減なところで止められないのです。
そして最後には、この世のどこにも自分の居場所がないような、そんな究極の気分にまで到達する・・・偉大なるネガティブ様の降臨というやつですね。

余談ですが、昔ある友だちが、フィンランドの作家 トーべ・ヤンソン(ムーミンの原作者)を敬愛する私に「トーヒ・ヤンソン」というあだ名をつけたことがあります。 私の名前とどこがかぶるって「ヤ」の一文字だけで、当時も今も相変わらずかなりバカバカしくて笑えるネーミングだと思うけれど、実は内心はちょっと気に入っていたりして。
つまり私が動けないほどに落ち込む時は、自分の能力や心の許容範囲を超える状況から、ただ単に「逃避」しているだけ…ということを、さすが作家志望者の洞察眼でもって見抜いていたにちがいないのです。

ただし意外とドン底の期間が短いのも事実で、そこは長所と褒めてあげていいかもしれない。 …でもそれは、つまり、この状況下でも例の逃避癖が顔を出し、長時間ネガティブな精神状態を続けることに耐えられないという、やはり弱い性格だということを表しているだけなんですけど。
まあ、ネガポジ反転の世界では「逃避」も快復のための合理的な手段となる!?しかも私の場合、転んでもタダでは起きないケチな性格なのか、奈落の底からでも何かを掴んで、逆に力を得て復活していく感じがある。

さて、本題に戻ります。つまり、一昨日我が家で(今思えば小さな)不和が生じ、昨日無事に収束を迎えた・・・その顛末を書きたかったというわけなんです。 なのに何だか抽象的な書き方になってしまいました。

一時は気分的に最悪だったけど、おかげで、日ごろ気づかない距離の中に隠し込められている家族それぞれの「大切な想い」にも気づいたりして、(落ち込んだ分)その想いやりがいじらしく感じられ、ひどく泣けてしまいました。
その瞬間はたしかに互いの距離は消えていたんです。・・・時にはバランスが壊れることも必要なのではないか、とも思います。

だけど、やっぱりいつもは壊れないでいてほしい。
この距離は私たちをある程度孤独にもさせるけど、それぞれが一人の人間として成長していくための神聖な空間を守っている垣根でもあるんです。

だから「冷たい」などと言わないでね・・・それは限りない愛しさと切なさの詰まった大切な距離なんだから。


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夏の庭

明日、8月2日に開催する講演会を直前に控え準備に追われる一昨日、たいへんな変更を迫られる事態がおきて、その対応に追われていた。

たったの2日間なのに何だかすごい時間が経ったような気がするな〜。

人生ほんとうに何が起こるかわからない。

特に「出会い」と「別れ」、「誕生」と「死」は運命の領域にあるものね・・・自分ではどうしようもない。

でも、そういう類のできごとに突然見舞われ時、人はハッと我に返るよね。
うまく表現できないけれど、何というか、日常の意識ではない別の世界に入っていくということ・・・かな?
ほんとうの自分が見えてくるのかもしれない。


・・・ここらでほんの一息・・・

2007・7・24 054  2007・7・24 056  2007・7・24 053

きれいでしょ?夏の庭。私の住んでる団地はとても緑が多くて、癒される。
強い日差しを浴びた庭を木陰から撮影すると、まるで異空間・・・白いシルクの布を透かしたみたい。


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